この動画を、僕は日本から遠く離れたアメリカの地で見た。
この動画はおそらく著作権で言えば違法なアップロードなのだろう。でも僕は今アメリカで、このテレビ番組を見ることは出来なかった。もちろん、日本にいたからといってテレビでこの番組を見れたとは限らない。でも、もしこの動画をアップロードしてくれる人がいなければ僕はこの感動的な映像を見ることはできなかった。だからアップロードしてくれた人に、すごく感謝している。もちろんこの素晴らしい番組を作ってくれた制作者にも感謝している。きっとそう思っている人が、世の中にはたくさんいると思う。制作したテレビ局に対して、そして番組をアップロードしてくれた人に対して。どちらも社会に対して、すごい価値のある行為だと思う。
今現在、削除されずに残っているこのアップロードされた動画も、テレビ局から著作権侵害の訴えを起こされて、いつ消されてしまうかわからない。そして、このアップロードされた動画がなければ、おそらく半永久的に私達はこの番組を見る事はできない。でも、単純に世の中に価値があるものを消し去る事が、この社会で健全な経済となっているのだろうかと、疑問に思った。なので、「なぜこの素晴らしい価値は消されてしまう運命にあるのか、本当の価値とは何か」について考えてみた。
通常、著作権を持っているテレビ局(おそらく)は、自社の作品を勝手に二次利用されたとして、訴えを起こせる立場にある。簡単に言えば、自社で儲けるための作品が、勝手に第三者によって利用されているからである。自社にとって何の利益も得られないがない事だと考えるので、こうした行動に至る。でも本当に得しないのだろうか。
僕は価値は巡り巡るものだと思っている。直接その場で儲けがなかったとしても、必ず価値を生み出していれば、その価値は何かしらの対価となって、いつの日か巡り巡って戻ってくる。例えばこのテレビ番組の場合、もし違法アップロードされたものをそのままにした場合を想定して、何が起こるか考えてみた。
- テレビ局が良質な番組を制作する。
- いい番組なので、シェアしたいと思う人が、YouTubeなどに番組をアップロードする。
- アップロードされた番組をインターネットで見た人が感動し、番組のファンになる。
- いち早く見れるのは、もちろんテレビ放送なので、ネットではなくテレビ番組を見るようになる。
- このテレビ番組を見る人が増えて、結果視聴率は上がりテレビ局はハッピー!
以上は前向きな見方なので、もちろんこうなるとは限らない。しかし必然的に考えていけば、好循環を生むであろう事は想像にやさしい。ここではテレビ番組を例に取り上げたが、他にも多くの著作権に絡んだ価値が眠っていると思う。
アメリカ、イギリスなどネット先進国ではそうした著作に関わる問題を好意的に解釈して利用し始めている。例えばあるミュージシャンは、自分のPVをオフィシャルページで無料配信している。なぜかというと、ミュージシャンのコアファンはすでにPVを購入済みなので、これはもちろん見込み客に対してのサービスだ。食べた事ない食べず嫌いな人にも、試食してもらおうという訳だ。これはファン拡大につながるに決まっている。もしPVの売上が仮に減ったとしても、拡大したファンに対して、どこかで回収できるという算段だ。つまり価値の絶対数が増えているのだから、いつかは儲けが増加するに決まっているという訳。
ペイ・フォワードという映画があった。良い行いが次から次に伝染していくとう物語だ。これも何かのヒントになると思う。価値は価値を生み出す。
そんなわけで著作権に関しても、もっと柔軟な考えで取り組みをしてみると、もっと世の中の価値の循環がスムーズに進んでいくと思う。
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