いくらでも仕事ある時代だし、だったら好きな事やって、もし失敗したら適当な仕事すればいいんじゃないか?

いくらでも』仕事ある
カルフォルニアにはメキシコ系が多く住んでいるが、アジア系も沢山住んでいる。僕が住んでいる地域は韓国人が多いCerritos City(セリトス)。日本人もロスのダウンタウンに行くと沢山住んでる。あまりあったことないけど。なので日本人向けのスーパーなんかも結構あり、日本人街もある。

日本人向けの情報誌には求人がいっぱい出ている

セリトスにはほとんど日本人は住んでいないが、それでも日本食のレストランには日本人向けの情報誌(フリーペーパー)が置いあったりする。求人情報からレストランの宣伝、コラム的なものがあったりと結構なボリューム。日本人のライブ情報なんかも載っている。

日本情報誌01 日本情報誌02 日本情報誌03

驚いたのは求人情報が多い事。僕はアメリカに来てから働いたことはないけど、結構日本人が働いてるんだよね。日本にいる時は海外で仕事するなんて、会社派遣で来ている人くらいだろうと思っていたけど、結構普通にみんなバイトしたりしている。

そもそもアメリカにお店を出して商売している人とか、単純にすごいなと思う。きっと人間はやろうと思えば何でもできるんじゃないかって、異国に住んでみると思えてくる。「紅花」なんかもそもそも日本人がこっちにきて始めた店なわけだし(「紅花」なアメリカで展開している鉄板のお店です。創業者は日本人)。

そうやってがむしゃらに生きようとする人が沢山いて、海外に暮らしてみるとスゴく刺激を受ける。例えば留学生は基本的にバイトもしてはいけない規則があるけど、多少の規則違反をしてでも経験するって、色々学べるからいい事だと思う。むしろそんな規則を細かく気にしてたら積極的に何もできなくなってしまうから。例えば、企業でも大きくなる過程では、必ず何かしら法に触れる事があるように。

バランス取る必要あるの?むしろ人ってバランス悪いのが当たり前じゃね?

ライブドアみたいな事件ってそもそも必要な事だったのかって不思議に思う。見せしめ的に行ったものだとしたら、それって必要だろうか。もっとさかのぼれば、winnyの事件とかね。なんか規則が大事っていうことが日本では大前提で、これを世間一般に見せしめ的な事件にされると、絶対日本全体の意識が萎縮するし、思い切った事がやりにくくなる社会になるのは当たり前の話だ。何も検察を批判したいわけではないけどさ。

なんか人って大人になる過程で、どんどんバランス感覚が取れた人間になっていくように見えて、実はそれぞれは狭い世界に生きてて、脳みそはドンドン柔軟性を失っていくわけで、むしろどんどんバランス感覚を失っていっているのではないかと、最近思ったりする。例えば、自分の業界には精通してるけど、他の畑のことはあまり知らないのが普通なわけで。それを知ってて当然でしょって求められても無理な話。

がむしゃらに好きな事やった方がいいんじゃないか!失敗しても仕事なんてたくさんあるぞ!

結局何が言いたいかって、もっと自由に好きな事をやって生きていけるんじゃないかなって事です。ここカルフォルニアじゃ、学がなくとも貧しくとも何とか生きてる人が沢山いる。日本なんて失業率なんて上がったっていっても10%にも満たない数字だし、これから超高齢化社会で労働力は不足してくる訳だし、仕事なんて選ばなければいくらでもある。

つまりは、好きな事やって好きなように生きて失敗したとしても、どうにか暮らしていける土壌があるんだから、自由に好きなことをドンドンやるべきじゃないかって、アメリカに住んでいると思う。

 

「やる気スイッチ」が入る! 30のヒント (YA心の友だちシリーズ)
松田 正男
PHP研究所
売り上げランキング: 56,655

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です