
大学生の時に一度、「5年日記」というのをつけた事があった。1冊の日記帳に5年分書きこめるもので、1ページが1日になっていて、5年分を毎年同じページに書き込めるようになっている。まあ1日数行程度しか書けないけど、書き溜めていくと昨年の今日は何してたのかと、簡単に見直すことができるので面白かった。わりとくだらない時間を過ごしているように感じていた大学時代だけど、5年分の日記を見返すと意外に精神的には大人になっていってるんだなとか、発見があった。
別に期間はあまり関係ないので「10年日記」だっていいんだけど。面白いのはアナログで手書きするって事で、ペラペラと目的もなくページをめくると、思いがけず「そんなことしてたのかこの日は」ということに気付いたりする。どうしても現代は、デジタルな整理されたモノの中で生活しているので、偶発的な出会いが薄れつつある。例えばデジタルのCDやituneなどの出現によって、アナログなカセットテープはなくなってしまった。カセットテープって停止したところから再生するので、デッキに入れて再生するまで何が流れてくるのかわからない。でもそんな偶然で流れた曲が、思わぬ当時の思い出までよみがえらせてくれたりするから、面白みがあった。
誰だったのか忘れたけど、書斎を一切整理しない作家が言っていた言葉がある。なぜ書類の山の中で仕事をし続けるのかという質問に対して、
整理された情報よりも、偶然出会った情報にインスピレーションを受けるから
と語っていた。お目当てのモノを探している中で、別のモノが目にとまり、そっちから思わぬインスピレーションを受けたりすると言うことだ。これは確かに経験した事がある。
整理された情報は引き出しやすく効率的で便利だ。一方でデジタルは偏った情報しか得られなくなる可能性もある。例えばいつも見るウェブページは同じものばかりになってしまいがち。人間は慣れ親しんだものに帰属する生き物なので、これは当然の行動だけど、結局整理されて引き出しやすくなった情報も、使う側のリテラシーやマインドによって大きく異なるわけだ。
一方で「情報」という観点から見た場合、やはり「初体験」っていうのは素晴しい。大人になるにつれて、多くを知り多くを悟ってしまえば、あらかたの事に新鮮さを感じずに、パッションのない生活になっていく。
極論はデジタルであろうとアナログであろうと、どっちも必要で、使い分けてうまく利用していくようにすればいいのだと思う。デジタルだけの生活でも、その使い方を工夫すればいいことだし。でもたまにはアナログな部分も取り入れたら、なんか良い出会いもあるんじゃないっという話でした。




