
ジョブズの死からもう一年以上がたつ。写真はニューヨークシティのアップル店のにて。僕がジョブズというかアップルを好きになったのは2005年くらいだったと思う。それまでMacは仕事上で使ってはいたけど、それほど思い入れもなく、ただ仕事で必要だから使っていただけで、ウィンドウズも同時に使っていた。そんなある日、なぜかはわからないけど、一冊の本を買った。それが「スティーブ・ジョブズ-偶像復活」特にそれまで彼のことを詳しくは知らなかった。たぶん創業者で出戻りした社長くらいの認識しかなかった。
初めて触れたジョブズ
東洋経済新報社
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この本で彼の経歴を知り、彼の考える志向の深さみたいなのを知った。衝撃だった。この本は確か本人非公式なので、すべては真実かどうかははっきりとはわからない。でもその後、彼の事を詳しく知るにつれて、この本で語られている事の多くが真実であるとわかってきた。
そもそも彼と共同創業者のウォズがパーソナルコンピュータを作ったわけだ(正確にはウォズ一人だけど、流通も含めれば彼らの共同作業)それが1970年代。僕の生まれた年には世の中にパーソナルコンピュータは存在していた事にまず驚いた。そしてもっと衝撃だったのは1986年前後に、僕の実家にはNECパソコン(DOS-8800)があったのだが、それはもちろんDOS(簡単にいうと文字入力しないと何も動作しないパソコン)で、でも1984年には今のインターフェイスの原型であるマウス操作でアイコンをクリックすれば動くパソコンが、すでに作られていたのだ。これがマッキントッシュ(現在のMac)。なんとした事か。。。僕はこのNECのパソコン以後、次に触るようになるのはウィンドウズ95が発売されて以降である。そんな昔に、今のパソコンの基本的な部分をすでに備えていたパソコンがあったなんて、っていう衝撃をこの本から受けた。。。
「価値は細部に宿る」
彼は最初のパソコン(AppleⅠ)を作っている頃から、「基盤のハンダ付けのきれいさ」にこだわっていた。実際には基盤なんてユーザーはその後のパソコンで目にする事は、分解しない限りほぼない。にもかかわらず、基盤の見た目のキレイさにこだわった。もちろん最初の製品であるAppleⅠは基盤のみの製品なので、それ自体を目にする事になるので、見た目のきれいさにこだわるのは理解できる。しかし基盤はその後、箱の内部へと押し込められてユーザーが目にする事はなくなる。にもかかわらずジョブズはその美しさにこだわり続けた。それはその後、配線の美しさや部品の細部にまで及び継続された。なぜユーザーが目にしない部分にまでこだわり続けたのか?
「これ以上のもの、誰か作れるの?」
「どこを見られても恥ずかしくない製品作り」
ひとつには職人としてのこだわりのようなものがあるのだろう。自分の仕事への自信と誇り。「これ以上のものを誰が作れる?」という自負。それともう一つは「どこを見られても恥ずかしくない製品作り」をしたかったのだろう。これはサービスにおける基本でもあり、現在多くの企業でも実践されている事だ。
「細部にこそ、そのサービスの真髄がある」
ディズニーランドでは普段使わない避難通路でさえ、デコレーションされているのは有名な話。アメリカでサウスウエスト航空は低価格を打ち出した最初の会社だが、その経営方針は「価格は安く、でもサービスはその細部にまでこだわって行う」というものだった。ジョブズの目指したのも、こうしたどこを切り取ってもアップルの製品であるとわかるような、すべてにこだわる事だったのだろう。
そして彼の生き方や考え方の多くが、スタンフォードの卒業式でのスピーチに集約されている。もしまだ見た事ない人がいたら、是非見て欲しいです。
講談社 (2011-11-02)
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