
小学5,6年生の時の担任の先生が、ちょっと変わっていた。今はどこにいるのかわからない。なにせ僕が20歳の頃、親から聞いた話では生徒のお母さんとデキてしまい、駆け落ちしてしまったから。当時から、変わった先生だなと子供ながらに感じていたので、まあそんなにビックリしなかったけど。そのちょっと変わっていた箇所を思い出したのであげてみます。
変わっていたクラス
テレビの見れるクラス
当時、ソウルオリンピックが開催されていたんだけど、授業そっちのけでテレビ中継を見せてくれた。給食の時も常にテレビはついていて、他のクラスの生徒も見に来てた。覚えているのは、そのおかげで男子100mの決勝を見れたこと。ベンジョンソンが後に失格になったレースです。当時、カールルイスの走るものまねが流行ってて、そのルイスが負けてショックだった記憶がある。
学級新聞
学級新聞を授業よりも熱心に取り組んでいた事。一般的な宿題が出た記憶がありません。クラス内でグループ分けされて、毎週のように新聞作ってた。当時はもちろんパソコンなんかなくて、すべて手書き。各記事を張り合わせて1枚の新聞にして、それをプリントしてた。鉛筆で下書きして細いペンで清書して、かなり時間かけて作ってた。だからいつも放課後は友達の家に集まって夜遅くまで新聞作り。全国新聞コンクールで入賞していたので、新聞作りの指導者としては優秀だったんだと思うけど、宿題が新聞作りってのはどうなのか。
一週間のクラス会議
何がきっかけだったのか忘れたけど、その担任の先生が一度猛烈にキレた時があって一週間授業をせずに、クラス会議が永遠開かれたことがあった。その当時僕はクラス委員をしていたので、議長をしていたんだけど、なんで怒られているのか当時もよく理解できてないので、ホント苦労した記憶がある。一週間、先生は教室にいるだけで、まったく言葉を発せずにただ黙って聞いてるだけだった。
こけし集め
その担任はこけし集めが趣味で、旅行に行った時の土産はいつもこけしだった。
スーパーなわとび
小学校のカリキュラムって、今考えるとたいした分量ないんじゃないかと思う。何しろ先生が自由に使える時間が多いからだ。そしてこの「スーパーなわとび」もそのひとつ。体育の時間のほとんどが、このスーパー縄跳びを使ったものだった。いや、たしかにすごい縄跳びだった。4,5重飛びなんかができてしまう縄跳びで、実際僕らも3重とびを何十回もできた。普通の縄跳びと何が違うかというと、まず長さが極端に短い。頭の上をすれすれで回転できるだけの長さがあれば基本的にはいいわけだから理にかなっている。それと持つ部分が木で出来ていて、まわしやすい。またその木の持ち手部分と縄の接触部分が回転しやすいような作りになっている。なので回転の抵抗になるものが少なく、より回転する仕組み。縄跳びの世界記録を作った縄跳び達人「鈴木勝己」さんもこれを使っていた事を後で知った。
とまあ、色々な思い出をくれた先生でもあったわけで、この担任の先生のクラスだったことに後悔はないけど。にしても、先生は今何してんだろうなあ。駆け落ちしても先生って続けられるのかあ。。。大人になっても「恋」だけは、人を盲目にさせるよね。なんか記憶にある先生はみんな変わった先生ばかりで、僕はいい先生に当たった事があったのだろうかと思えた。
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