国際化、グローバル化の流れの中で、英語が必要だと言われても、それって外資や商社の話でしょとなってしまいがちなので、ちょっと違う視点で自分の考える英語の必要性を書いてみようと思う。
情報格差
情報化社会と言われて随分経つが、収入格差と共に情報格差もドンドン広がっている。「ぐぐれかす」なんて言葉も笑って済まされない時代だ。ググればどんな情報でも手に入る。先日私のイタリア人の友人は自分の車を直すのにYOUTUBEを見ながら直していた。詳しい人が手順を事細かに教えてくれている動画があるのだ。これで友人は修理工から言われていた修理代300ドルを、部品代の50ドルだけで直してしまった。まさか修理工のライバルがYOUTUBEだとは。
情報はあふれているが、もし日本語だけからの情報であれば母数はせいぜい1億人である。英語は20億人以上(第二言語・外国語も含む)。情報量・情報のスピードが違う。インターネットがどんなに普及しても使い手が使いきれなければ、宝の持ち腐れ。
日本から仕事がなくなる日
次に発信者としての英語の必要性。個人と企業について考えてみた。ちょっと極端な話だけど。まず企業活動と消費者活動の全体の流れは以下の通り。(※細かい流れは省略)
製造 → 販売 → 消費 → マーケティング(販売前も含む)
現在、企業活動としては「製造・流通・販売・マーケティング」が行われている。そのうち「製造」においては、その大部分が海外で行われている。製造の海外流出は今後更に拡大していくだろう事はコストだけを考えても容易に想像がつく。そして残りの「販売・マーケティング活動」これらが今、個人活動によって企業から仕事をドンドン奪っている。例えばアマゾンのレビュー機能などによって、消費者の感想がそのままその他の消費者の購買活動に影響している。またアフィリエーターやパワーブロガーが作ったサイトから物がバンバン売れる時代。そしてフェイスブックに代表されるSNS。信頼する人の情報はドンドン拡散していく。口コミ、バズ効果が大きく影響する中で、完全にマスメディアパワーは終わりを告げ、またマーケッターの活動意義も失われていく。何しろ個人が宣伝活動して販売まで手がけてしまうわけだから、会社の中で「営業マン必要?マーケッター必要?」って事になる。こうして企業活動の大半は個人の活動によって失われていく。
未来学者アルビン・トフラーは50年も前に著書「第三の波」の中で、情報革命と共に消費者革命が起こる事を予言している。そして現在ネットの世界では一部で「フリーエージェント」という言葉がもてはやされている。一般にはねずみ講の一種と偏見を持たれているかもしれないが、億単位で稼ぎ出す個人が輩出されている事からも、個人の力、個人の発言力が大きくなっている事は事実である。
誰もが商品の宣伝をしてまわり、誰もが販売できる時代、瞬時に地球の裏側で販売・購入できる、そんな時代だ。逆に日本製品を誰でも、例え外国人でも間単に海外で販売できる。製造は海外で行われ販売は外国の個人が行い、「え?日本人の仕事なくね?」って事になる。ドンドン縮小している国内市場だけに留まっていて良いわけない。個人レベルで勝負する時代はすぐそこまで来ている。もっと言えば、先進国と後進国の差がなくなるのは個人の台頭によって起こるのではないかと思う。そして日本は、1つのツールを持っていないがために敗者となる可能性が充分にあるという事だ。それが英語なのかもしれない。
中央公論新社
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