アメリカに来て2年になる。さすがに英語で困る事はない。最近思うのだが、日本人が思っている程、言語の違いって問題にはならないって事だ。もちろん確実にしゃべれた方がいい。ただ、僕が今住んでいるカリフォルニアには、たくさんのメキシコ人がいて、それこそ流暢な英語を話す人もいれば、何年住んでてもあまり上手でない人もいる。もちろんそれでも生きていけるのは、マジョリティと化したメキシコ系のコミュニティが存在している事も大きな理由だ。メキシコ系の企業やお店が沢山あって、メキシコ系の経済圏が形成されている。でもそれ以上に、ここでは流暢に英語がしゃべれない事が当たり前として認識されているので、お互いが相手を理解しようとする風潮がある。いや英語と言うよりも、母国語の違いを認識していると言える。
僕の住んでいるカリフォルニアでは、場所によっては半数以上がメキシコ系出身者なんて事も珍しくない。そんな中で暮らしていると、言葉の問題は常に付いてまわる。だから流暢に英語を話せない人も沢山いて、気遣ってコミュニケーションがなされている。こうした気遣いは、アメリカが移民の国であるという事も影響していると思う。
こうした中にいると、人それぞれ母国語に違いがあるって事を、常に意識するようになる。だから英語をしゃべれない人がいても、その人に対して優しくなれる。前提として英語をしゃべれるか、しゃべれないかわからないけど、しゃべれない可能性もあると認識しているからだ。
日本では、日本語がしゃべれない人なんて、基本的には日本人以外の外見を持った人しかいない。だから基本的にはみんな日本語がしゃべれて当たり前という感覚にある。だからなのか、日本人は英語にしても完璧に話せるようになろうとする。でも実際は、完璧に英語を話せない人もたくさんいるし、それでなんとかなっているのがアメリカだ。むしろ世界では何ヶ国語も話せる人がたくさんいるけど、それは言語が似通っているからという理由が大きい。そもそもアルファベットだったり。
そんなわけで、英語の勉強も完璧を目指すよりも、まずはコミュニケーションが取れるようになる事の方が重要で、完璧なんてむしろ目指さないで、気長に続けた方がいいと思う。言葉は慣れる事が必要なので、むしろ続ける事が大切だ。



