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東洋人街で念願の日本食!

もうこれは楽しみで仕方なかった。さすがに数週間も日本食を離れると恋しくて仕方ない。とんかつとラーメン、まじ最高でした。なんで日本食ってこんなにうまいんだーと改めて感謝。どちらの店もサンパウロの日本人街では有名店。
世界三大日本人宿「ペンション荒木」にて

恋しいものの一つに活字がありました。日本語を見ていないと、なぜか無性に日本語が読みたくなる。何なんだろうこれって。特に漫画が読みたくて仕方なかったです。それをかなえてくれたのが、この「ペンション荒木」。かつて世界三大日本人宿と呼ばれ、バックパッカーの間では聖地みたいな場所。今はあんまり評判が良くないみたいだけど。それでも僕にとってこの時は天国だった。日本人が沢山泊まってる有名な日本人宿だけあって、たくさんの漫画が置かれていて、むさぼるように読んだ。この欲求はよくわからんね、なぜ日本語読みたくなるのか。
移民博物館

日本人移民がどのように海を渡って、ここでの暮らしをしてきたのかが紹介されている博物館。当時の日本は貧しく、海の向こうに楽園があると信じてブラジルへとやってきた移民たち。「さあ行こう 一家をあげて南米へ」今見るとなんとも安っぽいコピーだけど当時の貧しい日本にとってはこのポスターは希望の光だったんだろうなあと。壁一面に書かれた移民の名前や当時のビザを見る事がでkります。
サントスFC

サッカーの神様ペレが長年在籍した有名なクラブ。そして日本のキングカズこと、三浦和良がはじめてプロ契約を結んだのがこのサントスFC。サントスはサンパウロ近郊にある港町。のんぶりとした雰囲気の町です。
サントスのコーヒー館

サントスは今から約100年前に日本人移民がやってきた初めての地。ここにはコーヒーの歴史を紹介しているコーヒー館があって、ブラジルでコーヒーの栽培に貢献した日本人移民が紹介されています。コーヒーと言えばブラジルは有名ですが、その礎を築いたのが日本人移民だった事をここで初めて知りました。現在、日本はコーヒーの消費の面でブラジルに貢献しているそうで、日本の缶コーヒーが展示してありました。
ある移民のおじいちゃんの話
紺野堅一さんのドキュメンタリー映画「ブラジルから来たおじいちゃん」。サンパウロでの上映試写会がちょうど行われている時に出くわした。紺野さんは日系一世として、ブラジルにやってきて70年。家族を作りこの地に人生のほとんどを捧げてきた人。特別な人ではなく、ごく普通の一般人。でも彼が移民として歩んでこられた、これまでを振り返っての言葉の数々は、考えさせられる事がたくさんあった。
この会場に映画を観に来ていた方々も高齢者が多く、移民一世もしくは二世の方々だった。異国で懸命に働き、家族を作り養い、生きてきた。そんな方々の代表としてこの映画で紺野さんは語っている。僕らの目指すべきひとつの道しるべになる映画だと思う。少なくとも彼らの生き方を知り、学ぶべき事があると思う。
日系人の知り合いに助けてもらったメキシコ行き
当初の予定ではブラジルからコロンビアやエンジェルフォールを見に行ったりしようと考えていましたが、旅の途中で知り合ったバックパッカーからメキシコが良かったと話を聞いて、どうしてもメキシコに行きたくなったので予定変更。でも日本に帰る日は決まっているし、しかも日本へ帰るのはペルーからのチケットですでに購入済み。つまりサンパウロからメキシコに行っても、一度ペルーに戻って来ないといけなくて。かなり面倒な事になりそうだったんだけど、泊まっていたペンション荒木の向かいに住んでいる日系のおばちゃんが、かなーり親切にしてくれて、フライトの手配を一緒に全部してくれた。本当にありがたかった。彼女に世話になった日本人バックパッカーは結構いるんじゃないかと思う。



































































