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クスコからプーノへ
マチュピチュ村から鉄道を使ってクスコに戻り、ここからが僕にとってのバックパックの旅の本当の始まりでした。ここまでの行程はすべて日本の旅行会社を通じて予約していましたが、ここから先は日本へ帰るリマからの飛行機のチケットがあるだけです。
最初から結構きつかったです。まずこの時点で僕は南米の旅はバスが基本で、バス網が発達していることすら知らなかったのです。なのでクスコから次に行こうとしていたプーノまでは飛行機で行こうとしてました。旅行会社に行ったら飛行機が全然なくて、しかも高い!というわけでバスを勧められたのですが、10時間以上の長旅になる事と、プーノに到着するのが夜中になるとの事で、えらく迷いました。でも結局はバスしかないので、乗る事にしました。
とはいえ自分でチケットを買って、自分で乗車するのは初めての経験です。何もかもがオッカナビックリです。間違ったバスに乗って全然知らない街に行ったらどうしようとか、荷物盗まれ何かなとか。ただ、この朝バスの待合い室に行くと、クスコの街で知り合って、マチュピチュでも偶然再開していたイタリア人ゲイカップルに、またもや遭遇しました。彼らも同じプーノ行きのバスだったので、これで一気に安心できました。
初乗車したバス。長距離バスは、基本的にはかなり大型のバスです。

クスコからプーノへの道中。本当にキレイな山々。
プーノ近郊の危険な町。。。
名前はわからないし、バスで通り過ぎただけの町だけど、相当危険な香りのする町だった。僕らのツアーバスは3台連なって走っていたんだけど、その町の道には大きな石がいくつも置かれていて、明らかに通るのを邪魔していた。その道の両側には見るからに貧しい感じの家々が並んでて、殺気だった感じがした。現地ガイドも外には出ずに無線で他のバスとやり取りをしていた。大きな岩だけでなく、道や空き地にはゴミが散乱してるし、道路自体も整備もされてないし、補修工事もされていない、荒れ果てた道に家々って感じ。襲われるんじゃないかって思った。そんな感じで1時間くらいの立ち往生を余儀なくされたあげく、パトカーがやってきて、パトカーに先導されてその町を無事通り抜ける事ができた。パトカーが来るくらいなので、本当危険な所だったんだと思う。
プーノのホテル
プーノに着いたのは深夜で、しかも予定よりもかなり遅れての到着でした。心配していたホテルは、バス停から歩いてすぐの所で発見して問題なくチャックインでいた。この旅でよく泊まった安ホテルでした。部屋はどこも同じような感じ(下の写真)。ユースホステルなら1000円くらいで泊まれるけど、一人部屋でゆっくり休みたい時は、2000円くらいから。テレビが置いてあるだけの部屋で、たまにデスクがあるくらいの違い。ユニットバスで、お湯はちょろちょろのところが多い。
チチカカ湖
小さなフェリーで浮島まで行ける。浮島では歴史を話してくれたり、実際に住んでいる人がお土産(民芸品)を売っていたりする。この浮島はなんと干草(アシ)でできてる。その構造なんかも解説してくれる。こうした小さな浮島がチチカカ湖にはたくさんある。
ウユニ湖(塩湖)
大地一面が鏡のようになるウユニ塩湖。僕は当初行こうと思っていたんだけど、なんか急にどうでもよくなって行くのをやめた。それでこの2週間後くらいに知り合った日本人のバックパッカーから日本人旅行客がウユニ塩湖で自動車事故で亡くなった事を聞いた。時期的には僕が当初行こうとしていた時期だったのでぞっとした。なんでもこの日本人が参加した現地ツアーの車が事故を起したらしい。それと同じ頃、日本では秋葉原事件が起きていた。車で歩行者天国に突っ込んでナイフを振り回した男が捕まった事件。このニュースを聞いて、世界のどこにいても同じだなと思えて、勇気が沸いてきたのを覚えている。危険は常に近くにあって、それはどこにいても同じように起こるってこと。だからいかに自分で自分を守るかって事が重要なんだなと思えた。
















































